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ヒップの極意 EMINENT HIPSTERS

- デュークス・オブ・セプテンバー・ツアーの苦労話 -

 

 

Voice of Steely Danドナルド・フェイゲンの自伝的エッセイ。

1948年生まれ、ニュージャージー州出身、ベビーブーマー世代。


低俗なTV番組にうんざりし、ヘンリー・マンシーニ、SF雑誌に

影響を受け、12,3歳の頃からニューヨークのジャズ・クラブに

通い始めて、マイルス・デイビスソニー・ロリンズコルトレーン

のステージに接し、70年代末までビル・エバンスはいつも最高だっ

たと回想している。映画にも造詣が深く、1989年のエンリオ・

モリコーネのインタビューも載せている。

 

学生時代の友人、ウォルター・ベッカーと曲作りを始めてから、

ポップ・ソングを売り歩くようになるが、演奏活動の方はあまり

成功しなかった。三人目のスティーリー・ダン、ゲイリー・カッツと

出会ってから転機が訪れ、デビューアルバムからのシングルカットが

あっという間にヒットして順調にレコードセールスを伸ばしていった。

 

一旦成功してしまうと、バンドの中心だった2人は嫌いだったツアー

からだんだん距離をおくようになり、メンバーは次々と辞めていった。

1970年代最後のツアーメンバーはレコーディングに参加していた

マイケル・マクドナルドジェフ・ポーカロがいた。

 

1993年、新作発表無しでツアーが再開されたが、たぶん2人それ

ぞれのソロ作をセールスするため。 

 

2010年にそのマイケル・マクドナルドボズ・スキャッグス

「デュークス・オブ・セプテンバー・リズム・レビュー」バンドを

結成し、全米ツアーを行う。その時の様子がエッセイ後半を占める。

 

キャリア的にも音楽性でも、フェイゲンがバンドリーダ、レビュー

責任者のポジションであり、決して状態の良くない会場の音響や、

当人たちのヒット曲目当てでカバー曲をやる悪態をついて席を立つ

短気で飢えた聴衆、狭くてカビ臭い楽屋、決して一流とはいえない

ホテルのプールでのスイミングなど、急性ツアー障害(ATD)を

発症するに至る顛末がシニカルに、誇大妄想症的に描かれている。

 

マネージャーにツアー待遇へ愚痴をこぼすと「じゃスティーリー・

ダンでツアーをしてくれ。宣伝取材やTV出演を断ってるんだから

大きなホールは埋まらないし低予算は仕方ない」とたしなめられる。

 

小銭を稼ぐため一週間程度なら我慢して日本ツアーしてもよいとこぼす。

(実際に2012年に来日している。)日本は島国でイギリスと同じか、

それ以上の極端な文化、堅苦しい礼儀作法、決して「ノー」と言わない

あらゆる種類のあいまい表現を示すエピソードをはさんである。要一読。

 

1970年代の終わりに発表されたスティーリー・ダンの傑作「Aja」

から30年、決してツアーをせず、ライブで再現するつもりもなかった

と思うが、2010年になって嫌いだったツアーを始め、日本にも来た。

当時最もHIPと思った曲「Peg」のバックボーカルを務めたマイケル

マクドナルドが参加した、苦労と笑いと歓喜のツアー回想だ。


Youtubeで観られる演奏で、結構楽しんでいる風もあるが、フェイゲン

の書く難解な歌詞と同じく、行間を読んで想像を広げたり、当人以外に

理解し難い表現が多く、翻訳じゃ十分伝わってこないのではないか?

 

近年スティーリー・ダン名義の新作はなく、ソロ作をリリースしているが

もう低予算ツアーは沢山だと考えているか、また大きなツアーに出たいか

本人の気持ちは知る由もないが、若い頃にもっとツアー経験をつんでおく

べきだった、ときっと思っているだろう。

 

(2015.12.13)